この勉強会は古志青年部有志によるものです。出席者は「古志」誌の「投句欄」「同人の一句」「一日一句」のすべての句にしっかりと目を通した上で合評を行います。それぞれが感銘した句、勉強になった句をとり上げます。あらかじめ「投句欄」の中から十句を選んで持ちよります。そのほか「同人の一句」「一日一句」についてもふれます。第二回以降は毎回、青年部外からゲストを迎えて行っています。第三回ゲストは中田剛さんです。俳壇でご活躍中の中田さんですが、昨年末「古志」に復帰されました。

投句欄より

白髪をほめられてゐる日向ぼこ 上村和季

麻衣子 ご老人がぽかぽかと日向ぼっこをしていると、誰にかはわからないけど白髪をほめられた。なんでもほめられるのは嬉しいこと。白髪はきれいに手入れされていて、一番ほめてほしいところなのだろう。日にあたって髪がきらきら輝いている様子も浮かんだ。
白髪は老いの顕著な外見的あらわれ。「白髪の乾く早さよ小鳥来る 飯島晴子」の句では、白髪を自分の中の老いとして背負っている重たさがあるが、上村さんの句では、あるところまで老い切っている、底まで生ききっている感じがする。美しいと言われることころまで白くなりきった白髪をほめられたということで自分の生きてきた時間に対する一つの肯定が感じられる。奥行きがある句。
主宰 「白髪の乾く早さよ小鳥来る」には、「早さ」にどこか老いのあせりのようなものがみえますが、上村さんの句は「日向ぼこ」からゆったりとした時間の流れが感じられる。

セーターを着たるたれもが優しさう 市川きつね

共感した。会社で制服を着ている女性社員たちが、休み時間にセーターをきて出て行くとき、全然印象が違ってやわらかく見える。「たれもが」とあるけど、具体的に誰というイメージがある気がして、そこがおもしろい。
丹野 私も、着ぶくれて丸くなった女性会社員のイメージですね。
主宰 都会の雑踏でセーターを着ている人たちのイメージ。逆に「誰もが優しくない」という前提が作者の中にあるからこそ、こういった句になるのかも。

山眠るなかに朱の橋朱の鳥居 諏訪いほり

きつね 色の対比が鮮明。朱は生命観を感じさせる色。生命観の象徴。余計な説明がいっさいなく、橋と鳥居が置かれているだけ。そのため、山がとくとくと心臓を打っているような、静けさがすごく感じられる。
麻衣子 山のふところにあかあかとしたものがある景色が見える。朱のとたたみかけが効果的。
眠っているなかに覚めているものがある。しーんとした様子。余計な装飾がはぶかれていることで、そのものだけが、物自体がしゅっとある様子。山が眠っていることの具体的な現れとしての橋と鳥居。「山眠る」は抽象的な季語だけど、視覚的に鮮明なものをおくことで、「山眠る」を実感していることをしっかり言葉で抑えられている。

枕元ひろく片付け聖夜来る 泉経武

麻衣子 いつもの寝る場所にもかかわらず、今日はプレゼントを待っているから片づける。今か今かとサンタさんを、大きなプレゼントを待っている子どものわくわくした様子が伝わる。「いつでもいいんですよ!大きいプレゼントちょうだい」と構えている子ども。いつもは、片づけしなさいと言われてもしないかもしれないのに、この日は、ということも思わせる。
主宰 「枕元を広くかたづけ」とは面白い。「広く」というところに、心理的なものを読みとることができる。
子どもの信じて疑わない素直な気持ちがよく出ている。

七五三かの日の吾子のぬくみあり 齋藤嘉子

時間のなかに子どもの感触を見いだしている。私はお孫さんだと思ったのですが、お孫さんを抱いたときに、自分が若かりし頃に自分の子どもを抱いたときの感触がよみがえってきた。その感触にふれたときに、ぱっと自分の時間をさかのぼったという奥行きの感じられる句。自分の子どものときの感覚がまだ生きているところがこの句の味と思う。

闇汁といひて和尚を誘ひ出す 岡部富雄

きつね 和尚さんは尊敬を集める存在であると思いますが、さんを付けないところがぶっきらぼうでいい。村全体の仲が良いから、和尚さんも闇汁という楽しい集まりに誘われるということで、その村全体の様子が伝わるようでした。
主宰 「闇汁といひて」という言い方が、実際は闇汁ではない何か、もっといかがわしいものに誘い出すための隠語として使っているようにも思わせる。
麻衣子 和尚さんもお友達のような存在。とても楽しそう。和尚さんが俗っぽくておもしろい。

女房とおんなじ星座納豆汁 伊藤寛

麻衣子 女房と同じ星座、つまり運勢も同じ。女房と運命共同体。納豆汁はあまりお外で食べるようなものでなく、お家で作って食べるもの。一目をはばからずずるずる一緒に食べられるのは、「やっぱりこいつしかいないな」と感じている。しみじみした幸福感や満足感が伝わる。
一蓮托生、地獄の果てまで。きれい事では済まないところまで一緒。やっぱりひそかに食べるものでしょうね、納汁汁を取り合わせたのは確かに面白い。
主宰 作者の意図としては「一緒でちょっとやだな」って気持ちもあるのかもしれません。
あきらめ感もあるのかもしれませんね。
主宰 一筋縄ではいかない夫婦関係が納豆汁であらわされているようですね。

陀羅尼助口に含みて臘八会 元屋奈那子

臘八接心という座禅の厳しい修行。禅をやる者にとって、臘八接心をやりきるのは相当なもの。寒さ、眠気とのたたかい。「陀羅尼助かんでこの暑にたえんとす」という私の句がありますが、陀羅尼助は心折れそうなとき、へばりそうなときにかんで、苦みによって自分を奮い立たせるもの。陀羅尼助への思いへの共感。

※陀羅尼助…キハダやニガキなどの木皮の煎じ汁を濃縮して干した薬。きわめて苦く、腹痛に用いる。僧が陀羅尼を誦するとき眠けを防ぐために口に含んだという。吉野の大峰山から全国に普及した。
※臘八接心…仏語。釈迦の成道を記念して、陰暦12月1日から8日の朝まで昼夜寝ずに座禅すること。禅宗の主要行事。

終点の駅に電車は雪まみれ 松山蕗州

きつね 雪国の生活感がよく表れている。電車を「雪まみれ」とはあまり使わないので面白い。「雪まみれ」のm音のもたつき感も、電車が止まった景に合っている。最後に「雪まみれ」と置いた語順も効果的。雪が降ってもとまらない電車に対する頼もしさも感じられた。
麻衣子 絶対とまらない電車の力強さや、一日走った電車に対するいたわりの気持ちが感じられる。雪国ならではの句。
電車が人みたい。電車も一仕事終えた達成感、充足感があるようだ。その日の一仕事を終えたことが、「雪まみれ」と言うことで具体的に、リアルにあらわされている。

降りつもる落葉となりて蝶眠る 金子吉哉

麻衣子 昨日までひらひらと飛んでいた蝶が、寒くなってきたので、羽を閉じて落葉のなかに眠っているという安らかさにひかれた。
蝶が眠りにつくときのたたずまいが詠まれている。詩的な感じがする句。

つつぬけの内緒話や冬座敷 古志溢子

麻衣子 聞かれてもいい話なのでしょうね。それでも、「ちょっとちょっと」なんて言い合って話しているところが面白い。気安さが伝わる。

髭剃りて毛穴いたはる今朝の冬 青村岳

麻衣子 昨日まで冬ではなかったのに、今日毛を剃ってみて、すーすーする毛穴で「ああ冬なんだな」と感じた。
剃り負けでしょうか。中年の男性の生々しさが感じられて面白い。
主宰 剃り跡とは言わず、毛穴をいたわるとした言い方が面白い。寒々とした毛穴の一つ一つが見えてくる。

落葉掃く大樹の侘びを聞きながら 竹野いさお

かがむようにして落葉をはいている人間を、おおうようにして上からのぞいている木の風景が見えてくる。大木が、「大丈夫でしょうか」と人間を見ている風景が見えてくるのが面白い。

今日干して明日も干したき布団かな 藤原智子

明日も晴れてくれよ、布団をぱんぱんにしたい!という気持ち。後ろに家族の存在が感じられる。主婦であり母であり妻である人。家族のなかのひとりとしてこの句におけるような感覚が出ているのがいいと思った。
主宰 主婦の方なら誰もが思うようなことだと思いますが、それが余計な計らいなしに句になってしまうところがすごいですね。

大根の葉のまつすぐに元気かな 野崎フク子

大根の食べるところは先細って地中に入っているイメージですが、地中に出ているところは突き上げるように生えている。うずくまるように生えている根に対して、葉っぱの方は天につきあげるように生えていて、葉っぱの方が元気に感じられる。真っ直ぐ上の方にざわっと毛が発つように伸びているのを、色んな計らいを入れずに、ストレートに「元気である」とみたところ、その素直さがいいと思った。「流れゆく大根の葉のはやさかな 高浜虚子」の葉っぱは、うずくまるような葉っぱ。大根の葉らしきもの。この句では実の白さとともに葉のみどりがよく見えた。
主宰 天真爛漫な良さがある。

同人の一句より

初孫の髪まだ薄し雛の夜 今井謙

とても生々しい。産毛みたいなほわーとした毛を生やした、まだ生まれたてに近い子。その子のための雛なのかな、女の子なのだろうと思う。それを雛の日に見ているという感触がとてもいい。
主宰 雛の夜というきらびやかなものと取り合わせたのが面白いですね

豆腐屋の棚に飾りし吉野雛 中山敏子

田舎の旧い木造立ての、油のしみた匂いのしてくるような豆腐屋。そこにあまり華やかでなく質素な吉野雛が飾られている。この風景がとてもいい。

胸元をふつくらと折り紙雛 佐藤和子

麻衣子 「紙ひひな紙の折り目のつよさかな 長谷川櫂」という男性的な句とは対照的で、女性的な感じがする。自分の行動としてやったというところもひかれた。

雛あられこそばゆきほど手に盛られ 遠野ちよこ

麻衣子 「こそばゆき」と言ったことで、雛あられの軽さがよく表されている。

土雛の鄙びた味の夫婦ぶり 片山ひろし

麻衣子 土雛という作られてから時間がたって味わいのあるものに、自分たち夫婦の姿をうつしてもいるのかしらと思った。

雛壇にむりやり兄の消防車 伊藤寛

きつね とても面白い句。ひな祭りの主人公は女の子。そのひな祭りに参加したい、妹と仲良くしたいのかもしれない。消防車を置いたことで、妹とその後喧嘩になっただろうなと想像させる。
主宰 妹がいやがっている顔が浮かびますね。
きつね 消防車という全然違うものですが、色が雛壇と合っている。ひな祭りのふわーとした雰囲気を壊してしまうような句。大好きな句です。

一日一句より

ボーナスの円き響きを楽しめり 松井潤

サラリーマンの生活が出ている。額がどうこうへの不満とか評価や査定とかいろいろあるけど、あるそこそこのまとまったお金をもらう喜びが伝わる。

着ぶくれて楽天家なる我を知る 松井潤

こだわりをもちつつもふっきれる、「まあいいや」とやりすごす自分を認識したところが面白い。作者の人柄が出ていると感じた。

顔見せや睨む役者を睨みつけ 松井潤

きつね 観客も役者も真剣な様子、伝統文芸における緊張感がとても伝わる。
主宰 よっぽど好きなんでしょうか。批評家の眼という感じを受けました。
僕はこのにらみをおどけと思った。真似、形態模写、絵看板をにらみ返したおどけかと。

二足目の靴で踏みたる霜柱 藤原智子

麻衣子 一足目は大事な靴で、二足目は汚してもいいようなはき古した靴。その汚してもいいような靴で霜柱をおもいっきり踏んで、泥んこになって遊んでいるのでしょうか。
主宰 二足目の靴というのは、成長した子どもの生涯で二足目の靴という意味かと思いました。
色んな読み方ができて面白いですね。

白菜をごろりと置いて包みたる 藤原智子

若いお母さんの勢いや、生活のなかの質感が出ている。主婦のいろんな動作のひとつをぱっととらえて作った。所作をくっきりととらえた句。

もの捨ててどんどん捨てて十二月 藤原智子

一年の整理に、あとくされを残さない潔さ。

あたらしきエプロン締めて大晦日 藤原智子

若いお母さんじゃないと詠めない。気合いが伝わる。ぜん ぶひとりでやってやろうかという迫力。

 

中田剛十句選

今日干して明日も干したき布団かな    埼玉 藤原智子
なにげなき青き実なれど龍の玉      千葉 菅谷和子
セーターを着たるたれもが優しさう   東京 市川きつね
七五三かの日の吾子のぬくみあり     岡山 齋藤嘉子
紅白の蕪を提げて男来る         大阪 木下洋子
白髪をほめられてゐる日向ぼこ      東京 上村和季
石段を登つて降りて七五三         岡山 神蛇広
落葉掃く大樹の侘びを聞きながら    石川 竹野いさお
大根の葉のまつすぐに元気かな     千葉 野崎フク子

丹野麻衣子十句選

白髪をほめられてゐる日向ぼこ      東京  上村和季
一年を賄ふ稲の干されあり        神奈川  戸次昭
長けてなほ木登り得意柿をもぐ      愛媛  才上宏子
女房とおんなじ星座納豆汁         山形  伊藤寛
髭剃りて毛穴いたはる今朝の冬      神奈川  青村岳
凩や名残の秋をさらひ行き      神奈川  横井美千恵
降りつもる落葉となりて蝶眠る      静岡  金子吉哉
山ぢゆうの鴉鳴かせて池普請       香川  岡部富雄
枕許ひろく片付け聖夜来る         東京  泉経武
つつぬけの内緒話や冬座敷        愛媛  古志溢子

市川きつね十句選

自然薯の長さは知れず掘り進む     東京 近藤英子
終点の駅に電車は雪まみれ       秋田 松山蕗州
寒いねと君に近寄るために言ふ      埼玉 森篤史
山眠るなかに朱の橋朱の鳥居     京都 諏訪いほり
初雪を眉毛にのせて男来る      神奈川 大場梅子
柳葉魚食うて一杯飲んでさやうなら 神奈川 小早川東子
山眠る小さきトンネル懐に       静岡 髙平玲子
闇汁といひて和尚を誘ひ出す      香川 岡部富雄
焼薯の匂ひに猫の寄つて来し      高知 篠崎亜希
冬麗冒険好きの赤い靴        和歌山 玉置陽子

【出席者】

大谷弘至:主宰 1980年生まれ 句集『大旦』
中田剛:自選同人 1957年生まれ 句集『竟日』『珠樹』
丹野麻衣子:自選同人、第三回飴山實俳句賞受賞 1974年生まれ
市川きつね:青年部副部長、第二回石田波郷賞準賞 1987年生まれ

 

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