5月11日(日)長谷川前主宰出席の須賀川句会(奥の細道句会)に参加。

須賀川句会は昨年に続き、2回目の開催。昨年はまだ震災の爪痕が多く見受けられたが、今回は復興した須賀川をみることができ、安心した。だが、まだまだ我々観光客には見ることのできない、気付くことのできないことが多くあるだろう。町並みはともかく、人の心はそう簡単に癒えるものではない。

しかしそういったことをまったくよそに、須賀川牡丹園は満開であった。昨年の句会日程は今年より一週早かったためか、まだ開花前でだったので今年は大変感激した。福島支部の方々が日程を考慮して下さったのだろう。逆に福島の方々に励まされることとなった。自然は何があっても、滞らずに淡々と前を向いて進んでゆく。俳句もそうあるべきなのだろうか。

特選・入選句から抜粋。
さながらに清涼山の牡丹かな 英樹
牡丹を見せて歩くや車椅子  愉子
笠置いて牡丹の里に休まれよ 幸三
花殻はリヤカー一杯牡丹かな 光枝
くづるるもまたおもしろき牡丹かな 怜
なすの苗天をむかせて植ゑにけり みさ子

今回、前主宰からは自分の句が間違われて清記された際の対応について話があった。俳句は大原則として、作者がわかってはいけないので、名乗って訂正をするわけにもいかない。対応のしようがないが、清記用紙が回ってきたときにさりげなく直すか、間違えて記入した人のことをひそかに恨むことだ・・・とのこと。前主宰はご自身も経験があるとされ、間違われた句はそれまでの句と思うしかない、ともおっしゃった。

私も各支部の句会に参加させて頂いているが、どこにおいても書き間違いは多いものだ。私も間違えられ、やきもきした経験もあるし、逆に一度書き間違いをし、作者に平謝りしたこともある。それ以降、清記の際は心を込めて字を書くようにし、書き間違えていないか入念に確認するようになった。皆一句にどれだけの魂を注ぎこんでいることか。自分がそうなのだから、他人だってそうだ。影で人に恨まれないよう、清記の際は再度確認したい。

辻 奈央子

 

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