古志の人 第1回 唐振昌さん
唐振昌(からしんしょう)さんは、横浜生まれの古志同人。平成22年5月、古志入会より十五年間の句をまとめた第一句集『陶枕(とうちん)』を上梓されました。また、このたび十五年間つとめられた東京支部長をしりぞかれ、俳人としても大きな区切りを迎えられました。そこで、唐さんにその俳句人生の歩みを振り返っていただき、また句集『陶枕』にこめられたものについて、インタビューさせていただきました。
──句集『陶枕』で一番こだわられたことは何ですか?
振昌:句集を編むときにかぎることではありませんが、私は日頃、俳句と関わりのない人たちにもわかる俳句を目指しています。中学生にもわかる俳句ですね。その点については、『陶枕』の読者 からも何通か、好評のお手紙もいただきました。これが第一です。
第二にこだわったのは構成です。私は俳句を始めたのが四十代後半でしたので、すでに若書きの年齢ではなく、才気は望むべくもありません。そこで、少しでも落ち着き感のある統一された、読み物としても楽しめる大人の句集を編みたかったのです。それは、あとがきにも書きましたが、十五年を越えてたまった俳句を制作年にこだわらずに、新年より季節をふためぐりさせました。旧い句が前方にあったり。その逆であったりします。
──句集『陶枕』の中で特に思い入れのある句を教えてください。
振昌:収録した三百十三句、すべてに思い入れはありますね。今お話しした通り、たいへん句の配置や構成に苦労をしたので。音楽でいうと、一つの曲を構成したような感じですね。
また、句集におさめられなかった句が山ほどあります。句集の構成上、落とさざるを得なかった句もあります。作りすぎて失敗した句もあります。そういう句集に載らなかった句への思い入れが、今は強いかもしれません。いつの日にか、デビューさせたいです。
──それではこちらからいくつか、気になる句をあげさせていただき、それらについてお聞きしたいと思います。さきほど、構成にこだわられたというお話ですが、本句集は実際に句が詠まれた年月順に並んでいるのではなく、四季を二巡する形に再構成されています。ある種、この句集の中で架空の時の経過を楽しむことができるようになっています。そこで、まず最初の一句と最後の一句についてお聞かせいただこうと思います。
あかあかと燃ゆる初日の若狭にゐ
本句集は、この句からはじまります。静かさのなかにも、母親の胎のなかにいるような暖かさや力がみなぎってくる感じを受けます。「若狭」という地名からくる印象もあると思うのですが。また面白いのは、最後の「ゐ」という動詞です。この句はすんなりできた句だったのでしょうか?
振昌:この句は家族で若狭に旅行したときにできた句です。地名をどこに据えるか悩みました。最後に「ゐ」と置いたのは、やはり古典からの賜物と思います。「ゐ」ができたと同時に、これは句集の一句と決めていたくらいです。
──また本句集をしめくくる、最後の句。
年越しやながく手を焼く句とともに
とても余韻のある一句です。唐さんは一句をこしらえるのに、時間をかけるほうなのでしょうか。この句が締めくくりに選ばれた理由についてもお聞かせください。
振昌:私は一句作るのにかなり時間をかけるほうだと思います。というより、いろいろいじくりすぎるのでしょうね。上手くいくときはいいですが、失敗することも多々あります。仕舞いには、初案にもどったりすることもあります。この句を最後にしたのは、長谷川櫂先生から「最後の句にふさわしい」とご指示をいただいたのが、決め手でした。私自身もそう考えていたので、うれしかったです。
──これも構成に関わるポイントになると思うのですが、本句集は、前半では「梅」「桜」「萩」、後半では「はくれん」「菫」「芭蕉」といったように、特定の季題の句が立て続けに並ぶページがあります。句集での一つの見せ場のような感じがします。ここでは梅の句をあげさせていただきますが、季題について意識されたことはありますでしょうか?
梅一輪ここに鎌倉右大臣
梅一輪とつてつけたるごとくあり
けさ一つ白燦々と軒の梅
名に負しふ梅くれなゐにしろたへに
振昌:とても意識します。私たちの暮らしは四季のめぐりの中で無限の恵みを受けてきました。それは、日本を含めてアジアの人びととの共通項だともいえます。ことに、梅は冬のもっとも寒いうちから咲き出しますし、雪中の梅は格別の美しさがあると思います。残念ながら、雪中梅の句はできませんでしたが。
──本句集はプライベートな句が少ないという印象を受けました。一句一句がどこか架空の世界のようなのですが、どこにでもありそうな、また誰にでも起こりそうな感じがします。例えば、次のような句も違和感なく、ぽんと入っているんですね。
百千鳥麻酔の妻の運ばるる
妻こよひ一人あそべる柚子湯かな
振昌:この二句はともに事実を詠んだ句です。一句目は妻が大病の手術をしたとき、二句目は冬至に鼻歌を歌う妻を詠みました。もし、そのような印象があるとしたら、季題の恩恵だろうと思います。私自身は意識していなかったので、ありがたいですね。
──忘れてはならないのが、句集のタイトルにもなっている「陶枕」を詠まれた句です。
陶枕を脇にかかへて来たりけり
陶枕や父祖のおもかげ次々に
陶枕は氷のごとく冷たかり
二番目の句は、おそらく昼寝をなさっているのだと思うのですが、夢の中でご先祖さまが次々とあらわれるわけですね。この句は、とくに唐さんのパーソナリティを匂わせている句ではないかと思うのですが。
振昌:私の両親はともに伯父を頼って、はるばる中国は江南から来日したそうです。戦前のことです。父母は横浜で知り合い、結婚したと母から聞いています。昨年、八十七歳で昨年亡くなりましたが、その母から古ぼけた写真を見せられた記憶ががあります。今は残っていませんが、そこには母の両親や祖父母が写っていました。記憶をたどってできた句ですね。
──この次はどのような俳句を詠んでいきたいですか?
振昌:基本的には今までと同じだと思います。芭蕉の目指した「軽み」を今の時代感覚で詠めれば良いのですが。
──そもそも俳句の世界へはどのように入られたのでしょうか?
振昌:自分でもよくわかりません(笑)。気がついたら言葉の世界にはまっていました。最初は遊び感覚で短歌をやっていましたが、次第に俳句にも手をのばしていました。今は弟分である俳句の方により魅力を感じます。いさぎよさに惹かれます。無いものねだりのところがあるかもしれませんが。
──どのような俳句を理想とされていますか? また俳句において大切にしていることはありますか?
振昌:理想の俳句がもしあるとしたら、俳句をつくるすべての人の心の中にあると思います。芭蕉も、一茶も、虚子も、俳句の理想を求めていたのではないでしょうか。俳句について一番大切にしていることは、飴山實先生のことばにあります「自分を磨く」ということです。もっとも難しいことですが。
──では最後に、唐さんにとって俳句とは何ですか?
振昌:人は何かと繋がってはじめて生きていける生きものです。現代人はあらゆるつながりから疎外されてきました。そのつながりの関係を求めて、心の営みがあると思います。人と、自然と、宇宙と・・・・・・。その意味で、俳句は僕にとって永遠といえるかもしれません。
(平成23年3月、関根千方記)
[プロフィール]
唐振昌(からしんしょう)
横浜生まれ、古志同人。
平成7年古志入会。
平成22年5月、第一句集『陶枕』を上梓。
- 陶枕
- 著者:唐振昌
- 価格:2,500円+税
- 発行所:花神社
- 発行日:平成22年5月28日